2016年11月24日

初雪の歌


雪です。 
11月に初雪が降るのは、東京都心部ではなんと54年ぶりだそうです。

そこで、本日は、「初雪」の歌をご紹介することにしましょう。

まずは、『万葉集』から、大伴家持の歌を……

初雪は千重に降りしけ恋ひしくの多かる我れは見つつ偲はむ
(大意;初雪はどんどん降り積もるがいい。恋しく思うことの多い私は、その初雪を見て、恋しき人を偲びましょう)

ふりしきる初雪を見ながら、恋しき人を偲ぶ……
とてもロマンチックな歌です。

『万葉集』には、約4500首の歌があるのですが、「初雪」ではじまるのはこの歌しかありません
『古今和歌集』には一つもなく、『新古今和歌集』にも一つだけです。
その歌とは……

初雪の布留の神杉埋もれてしめ結ふ野辺は冬ごもりせり
(大意;初雪が降り、布留の社(石上神宮)の神木の杉が埋もれている。しめを結って立入禁止とした神域の野辺は冬ごもりをしてしまいました)


「初雪」→「冬ごもり」と持ってきた歌ですね。

54年ぶりの11月の初雪で、都心部もこごえているようです。
冬ごもり、にはちょっと早いようですが……。


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2016年06月09日

季節の和歌(梅雨)【新古今集】


いよいよ本格的な梅雨の季節になりました。 

そこで今回は一首だけですが、
梅雨の季節にピッタリの和歌を『新古今和歌集』からお届けしましょう。


■うちしめり あやめぞかをる ほととぎす 鳴くや五月の 雨の夕暮れ
(大意;空気はしっとりとして、菖蒲の花の香りがしている。
 ほととぎすが鳴いている、五月の雨の夕暮れ時)


ズバリ! 季語がたくさんで、いかにも梅雨っぽい歌ではないですか?

初句のうちしめりの文字が「大気もじと〜」という感じで……
あ〜、鎌倉時代とかもやっぱり梅雨時はじとじとしてたんだなぁ、という感じです。

ちなみに、「五月」とありますが、むろん、旧暦ですので、だいたい現在の暦で六月頃……
まさに梅雨時の歌になります。

この歌の作者は「藤原良経」という人です。
歌人としても知られていますが、鎌倉時代の初期に摂政、太政大臣として貴族のトップにいた人でもありますね。


では、また機会がありましたら、「季節の和歌」などご紹介していきましょう!
(「季節の和歌・俳句」の目次はこちら

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2015年06月09日

季節の和歌(梅雨)【古今集】





ついに多くの地方が梅雨入りいたしました!

そこで今回は雨に関する名歌
 『古今和歌集』からピックアップしてみます!

■五月雨の空もとどろにほととぎすなにを憂しとか夜ただ鳴くらむ 160
(大意;五月雨の激しく降る空を、ほととぎすは何を悲しく思って、
ひたすらに一晩ただ鳴いているのだろう)


梅雨というと、現在では6月というイメージですが、
 旧暦だと約1か月ズレがありますので、
梅雨時の雨を「五月雨(さみだれ)」といいます。

一晩降り続く雨の中を悲しげにほととぎすの声がする。

なんとも沈痛なイメージが漂う歌ですね。
梅雨時の物憂げな感じがよく出ている歌のように思えませんか?


■泣く涙雨と降らなむ渡り川水まさりなば帰りくるがに 829
(大意;止まらぬ涙よ。いっそ雨のように降り続けばよい。
 そうすれば三途の川は増水して渡れなくなり、
 愛しきあの娘も帰ってこられるだろうから。)


小野篁(たかむら)の名歌です。
 詞書には「いもうとの身まかりにける時よみける」
とありまして、ご姉妹の方を亡くされた時の歌のようです。

死を悼み、止まらぬ涙が、いっそ雨となって流れ続ければ、
渡り川(=三途の川)が増水して渡れなくなるから、
愛しき妹も帰って来れるだろう……

かなわぬ願いを歌っていることが、より一層悲しさを引き立てます

ちなみに『篁物語』には小野篁と異母妹との恋が描かれており、
実は、単なる兄弟愛ではなく、恋愛感情があったのでは?
という人もいるのですが……

この歌に詠み込まれた激しい思慕の様子から、
逆に物語のほうが創作されたのでは? ともいわれています。

(まあ、異母兄妹の間の愛というのは、
 今ほど不自然なことではありませんでしたけどね。)



■雨により田蓑(たみの)の島をけふ行けど名にはかくれぬものにぞありける 918
(大意;雨が降ってきたので、田蓑の島に今日行ってきたけれど、
 蓑という名前がついた土地だといっても雨から身を隠してはくれませんでした)


少々変わった歌ですね。
解説が必要でしょう。

(みの)」はご存知ですね?
昔の雨具で、現在の合羽(かっぱ)みたいなものですね。

そして、この歌を詠んだ人は、雨が降ってきたので、
濡れないように、「蓑」の名のついた土地に行ってみたのですが、
やっぱり名前だけではダメで、すっかり濡れてしまった……
と歌っているのです。

現代人の感覚だと、ちょっとアホラシイ、とか思ってしまいそうです。 

現在なら雨が降ってきたので、
東京都台東区の「合羽橋(かっぱばし)商店街」に
駆け込んだ! といったところでしょうか? 

とはいえ、これは言葉遊びといいますか、
面白みを歌った歌ですので……

詞書には
難波へまかりける時、田蓑の島にて雨にあひてよめる
とあります。

田蓑という土地で雨に降られたために、
その時の状況と地名を素早く詠み込んで
周囲の人から「うまい!」 と評された、といったところでしょう。

ところで、この歌にはもう一つ、言葉遊び的要素があるのに、お気づきですか?

名にはかくれぬ」の中に「難波(なには)」が隠れています。
(詞書に「難波へまかりける時」とありますね)

これらの技法が相まって「うまい!」となるわけです。 

ちなみに、この「うまい!」歌を詠んだのは、
古今集の中心的編者といわれる紀貫之でした。


以上、今回は梅雨時にちなんで
 雨の歌をいくつかお送りいたしました。
いかがでしたか?

その他の梅雨時関連の名歌・名句はこちらをどうぞ!
梅雨時の名歌・名句<五月雨>
蛙の歌が… <万葉集>
蛙の歌が… <古今集・新古今集>
あじさいの歌 <万葉集>
蛙の名句 <小林一茶>
蛙の名句 <小林一茶>A
蛙の名句 <小林一茶>B
かたつむりの名句 <小林一茶>


(このブログの目次はこちら



参考文献は上記、角川ソフィア文庫版になります。







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2015年05月20日

徒然草の名言C


これまで3回にわたって、お送りしてきた徒然草の名言
今回で4回目ですね。 (過去の記事はこちら→@ A B

■春暮れてのち夏になり、夏はてて秋の来るにはあらず。 155段

(大意;春が終わった後に夏になるのではなく、
 夏が果ててから秋が来るというわけでもない。)


どういうことかというと…… 
 一つの季節が終わってから、次の季節になるのではなく、
 一つの季節が終わる前、まだ盛りの頃から
 次の季節の萌芽が始まっている、
つまり、まだ春のうちに夏の芽生えが見られ、
夏の暑さの中に秋の気配が漂いはじめてくるものなのだ、
といった意味になりますね。

この文章、意味がわかりやすいわりに、非常に奥深いものがあります。

ビジネスにしろ、スポーツなどの趣味にしろ、
 調子良いなぁ、と思っていると、思わぬ落とし穴があったりします。

後から振り返ってみると、すでにあの時に悪くなる予兆があった、
とかいうこともあると思います。

好調時に多投して、肩や肘を壊したピッチャーなんかを
思い浮かべるとわかりやすいですかね。

好調時にも、すでに次の不調時の予兆がある
 (その時には、気づかなくても、後になって気づくもの)
といった感じですね。

人生訓としてとらえるならば、
 若いうち、元気なうちに、次の時代(年を重ねてから)の備え、準備をしていく必要がある
  といったことになろうかと思います。

準備というのは、金銭だったり、健康だったり、
 勉強だったり、心の準備だったり……いろいろですね。


■万の事、外にむきて求むべからず、ただここもとを正しくすべし。 171段

(大意;どんなことでも、外に向かって何かを求めてはいけない。
 まず、自分に近いところ、手前のところを正していくことが大切だ。)


吉田兼好は、この文章の前にいくつか例を挙げています。
それを少し現代風にアレンジしてご紹介すると……

百人一首やカルタをやる時、
「すべての札をとってやる!」とあちこち見回していている人は
結局、大して取れない。
無理せず、自分に近いところにある札だけは確実にとろう!
とか思っている人のほうが、たくさん札をとれるものだ。

ボーリングやゴルフのパットなどでも、奥にあるピンやカップを
直接狙うのではなく、手前に目印を設けて、そこを狙うようにすると、
見事に、成功する。

といった感じで例を挙げています。
(実際には、『貝合わせ』『碁盤上の石はじき』の話なのですが……)

いきなり遠い目標を見定めるより、
まずは自分の身近なところを、しっかりおさえていくことが
大切だ、といった意味になりますね。

非常に現実的なアドバイスともいえるのではないでしょうか?


■一時の懈怠(けだい)、すなはち一生の懈怠となる。
 188段

(大意;一時の怠(なま)け心が、一生の怠(おこた)りとなるのだ。)

人生長いようで短いもの、
ちょっとした怠け心が、一生の後悔につながる…… 

なんて、恐ろしい話なのですが、ありそうな気もしてちょっと怖いです。

一つのことを成し遂げるためには、
 他の事がうまくいかなくなることを恐れたりせず、
懈怠の心を起こさず、突き進まなければいけない
 といったところになります。

これもまた、吉田兼好お得意の「今でしょ!」トークの
 一つといえそうですね。


■日々に過ぎ行くさま、かねて思ひつるには似ず。
 一年の中もかくの如し。一生の間も、またしかなり。
 189段

(日々が過ぎていく様子は、事前に思っていたことと違うもの。
 一年が過ぎていく場合も同様だし、
 一生というのもまた、同様に思い通りにはいかないものだ)


同じ段で吉田兼好が書いていることを簡単に訳しますと……

「今日はあれやろ!」とか思っていたのに、
予想外の急用が入ったり、ふいに訪ねてくる人があったりして、
予定通りにいかないことってあるよね。

(でも、意外に予想通りに事が運ぶ場合もあったりするから、
 わかりづらいんだけどね。)

まあ、人の一生や、世の中の流れは、
予想通り、期待通りに進むわけじゃない、とだけは覚えといたほうがいいよね。

といった感じです。

一日のことすら、なかなか思い通り、計画通りにはいかないもの。
もちろん、予想通りに一年を過ごすとか
一生を過ごすとか、もちろん無理でしょう。

そんなわけで「○○してからやろう」などと、
何かにつけて物事を後回しにしていたら、
結局、計画通りに事は進まず、
計画倒れに終わってしまうことも多くなるでしょう。

「計画」という名の「後回し」「怠惰」は、慎むべき
という教訓にも受け取れる言葉ですね。


さてさて今回はここまで。

「『徒然草』の名言」、いかがでしたか?

一応、この4回目をもって「『徒然草』の名言」は、終了としたいと思います。
(ひょっとすると、またいつか始めるかもしれませんが……)

今回の参考文献は下記でした。



(このブログの目次はこちら








     
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2015年04月17日

徒然草の名言B


吉田兼好の『徒然草』の名言、
 今回で3回目ですね。(前回、前々回は→ @ A

■あやまちは、やすき所になりて、必ず仕ることに候
 109段

(大意;失敗というのは、簡単なところにきて、必ずおかすものなのだ)

やはり『徒然草』の名言、というからには
「高名の木のぼり」のこの名言は外せませんね。

ある木のぼりの名手が、木の枝を切らせるために、
人を高い木に登らせ、下から見張っていました。

その名人、枝を切る人が高いところで、
いかにも危なげな時には、何も言わなかったのに、
仕事を終えて、木を下りてきて、
 もう地面につきそうなくらいになって
初めて「気を付けろ!」といったのだそうです。

「なんで?」  と聞くと、その名人はこう答えたのです。

「目がくらくらして枝もしなって危ない時には、
 誰もが危険に思い、気をつけるので、何も言わなかったのだ。
 しかし、そういう人も、安全なところまで来ると、
 緊張がゆるんで、過ちをおかす
ものなのだ。
(だから低いところ、安全なところに来て、声をかけたのだ)」


といった感じです。

ん〜〜確かに!

危険なところでは、誰もが気をつけますからね。

そこをクリアして、ふっと、気がゆるんだ時
 大きな事故につながる危険が訪れる、なんて確かにありそうです。

さすが、名人のお言葉、含蓄がありますね。

このお話、教科書などにも載っていたりするみたいですね。



■世に従はむ人は、先づ機嫌を知るべし 155段

(大意;世の中を生きる人は、まず時節を知るべきである)


「機嫌」をどう訳すべきか、ちょっと迷いますね。

「時節」と訳しましたが、「時機」「タイミング」「TPO」などと
いってもよいかもしれません。

この次に出てくる言葉も紹介しておくと、
 内容がよくわかるかもしれませんね。

■ついであしきことは、人の耳にもさかひ、
 心にもたがひて、そのことならず


(大意;間が悪いと、人も聞く耳を持ってくれないし、
 関心も持たれないので、事は成就しない)


なるほど、世の中、何事もタイミングが重要、ということですかね。



■身死して財(たから)残ることは、智者のせざる所なり 140段

(大意;死んだ後に、財物を残すというのは、
 知恵のある者のすることではないね)


う〜ん、なかなか手厳しい。

この後の文章を少々意訳すると……

「死して、くだらないものが残っていたら、
『こんなくだらないもの大事にしていたのか』とかいわれるし、
良いものであっても『こんなものにうつつを抜かしていたのか』
とかいわれるだけだろうし……

そんなものがいっぱいあったら、ますます情けないことだ。
「俺がもらおう」なんて人が出てきて、
遺族の間で取り合いになっても最悪だしな。

具体的に誰か(子とか孫とか)にあげようと思っていたものなら、
生きているうちにあげればよかったのだ」

なんて感じです。

そして最後には

■朝夕なくてかなはざらむ物こそあらめ、
 その外は何も持たでぞあらまほしき


(大意:朝晩の生活に、無くてはならないものだけあればよい、
 その他は何も持たないでいたいものだな)


う〜ん、まさに元祖「断捨離」という感じですね……

自分には、ちょっと……無理かも……


今回はこのあたりで、終わりにします。

次回、もう一回くらい、続けようかな? 
(UPしました→C



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今回も、下記、旧版の角川ソフィア文庫『徒然草』を参考にしました。










     
posted by 慈文字心 at 08:47| Comment(0) | 古文(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする